2014年09月05日

自ら鳴る鐘

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2014年02月18日

衣を隠された神女

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 衣を隠された神女が隠した者の妻となる話が必ずしも小説にあらざるは、バルフォールの『印度事彙』に出た次の記事が立証する。

いわく、カンナノールの女主は、その隣地とラッカジヴ中の三島を、その祖先より伝え領す。この女主は回教を奉ずるモブラ人で、一族中の年長の女が女主となる。伝え言う、むかしここでナイル人の婦女の一団が水浴する場へモブラ商人どもが来た。


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2013年11月15日

熊野の神詠

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 里譚に熊野の神がむかし西牟婁郡富田の海辺に鎮座し掛かると波の音が喧しい。それを厭うて山に上ると松籟が耳に障るので、「波の音聞かずがための山籠り、苦は色かへて松風の声」と詠じて本宮へ飛び去ったという。神さえ到る処の不満足を免れず、人間万事思うままに行くものかと、不運な目に遭うごとに紀州人はこの歌を引いて諦めるが、熊野猿ちう諺通り神の歌さえ鄙びたる。


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2013年10月27日

東牟婁郡請川村の須川氏について(口語訳4)

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 元禄6年12月3日、5代将軍綱吉公が柳沢保明の邸に臨むや、内蔵助は三学の太刀をご覧に入れ、また公の御相手となって撃剣する。同12年閏9月31日、同邸にお成りのときは、内蔵助は将軍の前で新陰流兵法玉成秘書を講じ、また仰せのままに宗冬の孫備前守俊方(としかた)と三学九箇の小刀を仕った。

宗冬の子対馬守宗在は、5代将軍の兵法師範だったが、元禄3年に死んで、その養子俊方が17歳で継いだが当時年若かったので、その祖父の入室の弟子で、芸道からいえば、その父の従兄分に当たる内蔵助がもっぱら柳生流の勢望を維持したものと見える。寛得氏の話で、須川徳卿の後に循治(じゅんじ)という人が現在東京深川に住み、養鶏を業とし、震災にも無事だった。この人は乗馬鎗刀の武術に達し、以前は陸軍士官学校で教官だったという。思うに、むかし須川家から内蔵助のような達人を出した家の伝説に感じて、循治氏も武に志したものか。

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